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200706オーストラリア訪問交流

オーストラリア技術者との交流 Interaction with Australian Engineers

オーストラリア技術士会からの招待で,日本技術士会の青年委員二名がそれぞれキャンベラとメルボルンを訪問した。オーストラリア技術士会,オーストラリアプロフェッショナル協会,ロイヤルメルボルン工科大学を訪れ,日本技術士会及び青年委員会の紹介を行い,今後,日豪交際交流を行っていく方法・方向性について議論した。そこで議論した内容と得られた成果について報告する。
Engineers Australia invited two of Young Engineers Committee (YEC) of the IPEJ to Canberra and Melbourne, respectively. They visited the Engineers Australia, the Professionals and RMIT University. After introducing what YEC is, they discussed the interaction between both young engineers committee with the young engineers of the Engineers Australia.

1.はじめに

オーストラリア政府機関のDAFT(Departmentof Foreign Affairs and Trade ) がYoungProfessionals のネットワークを広げる政策の一環として,2006 年11 月に一行を日本に派遣してきた。その中でエンジニアの Brandon Lee 氏が技術士会に交流を申入れてきたのが日豪交流の始まりとなる。日豪若手プロフェッショナルエンジニアのネットワークの構築,及び日豪ビジネスにおいて利益を増進することを目的に青年委員会として活動を開始した。

日豪ビジネスを開拓していくにあたり「今年(2007 年)はオーストラリアに行こう。そのために,日豪ビジネス企画書を練りあげてオーストラリア関係者に提案していこう。」という目標に向かい青年委員会内でワーキンググループを結成してメンバーが集まり議論を重ねていった。企画の内容についてブレーンストーミングをおこない練っている段階で,Brandon Lee 氏から日本技術士会青年委員会にオーストラリアへの視察・研修への参加依頼が入る。当初のミッションは,「技術者の流動性に関する議論」,及び「FTA研究が示唆する可能性の模索」という事であったが,FTA について議論することは技術士会の青年技術士のミッションとして適切でないという判断の基に議論・交渉をしていく中で,まず日本の青年技術士が果たしてくるミッションとして,「日本技術士会,及び青年委員会のオーストラリア技術士会への紹介・PR」と「日豪国際交流を行なっていく方向性・テーマの模索」ということで話がまとまり,2007 年6 月下旬にオーストラリアへ訪問することが決定した。

スケジュールについては、前田が6/24~26 にキャンベラでオーストラリア技術士会本部・青年委員会本部訪問,及びProfessions Australia 会議・レセプションへの参加,掛川が6/27~29 にメルボルンでオーストラリア技術士会ビクトリア支部・青年委員会ビクトリア支部,及びRMIT大学訪問を行い,オーストラリア技術者との交流を行なって来た。

2.オーストラリア技術士との交流

オーストラリア技術士会のキャンベラ本部でRupert Grayston 氏 (Deputy Chef Executive),Michael JM Bevan 氏 (Associate Director Registration)らと前田が面会した。そして,次に, ビクトリア支部でGlenda Graham 氏(Industry and Accreditation Manager),Alison Coe 氏(Executive Director)らと掛川が面会する中で,以下について議論した。

表1.日豪技術士の比較

 国名       日本
豪州
 資格の名称 技術士CPEng
 法的根拠 技術士法Royal Charter
 認定機関
(指定機関)
文部科学省
(日本技術士会)
EAust(注2)
(NPER)(注3)
 試験 筆記・面接レポート・面接
 実務経験4~7年
3年以上(推奨)
(注1) Chartered Professional Engineer
(注2) The Institution of Engineers Australia
(注3)National Professional Engineers Register

2.1 試験制度の違い

オーストラリアでは,Brandon Lee 氏によると一般に以下に示す過程を経て技術士が誕生する。

こちらかも日本の技術士の試験制度について説明した。日豪の試験を単純比較することはできないが,日本の技術士試験が相当に難関であることは伝わったようである。

2.2 技術者のキャリアプログラム

オーストラリア技術士会では,特に若手対象に,キャリア形成を手助けするためのプログラムが実施されている。プログラムの内容は,日本における修習技術者支援と同様のものが多い。本報では,オーストラリア独自のキャリアプログラムを紹介する。

それは,個人資産の運用に関するプログラムである。オーストラリア経済は,中国向けの鉄鉱石などが好調で,現在バブルの状態にあると言われる。このような状況下で,特に若手のエンジニアが欠乏している。その結果,優秀な技術者であれば20 代後半で年収2 千万円というのもめずらしくない。ただその年収をいつまでも維持できるとは限らない。実際に資産運用に素人の若手技術者が経済的なダメージを受けた事例もあったことから,このような資産運用を指導するプログラムを開始したとのことである。

写真1.オーストラリア技術士会の役員と

2.3 オーストラリア青年技術士との交流

オーストラリア技術士会にも,日本の青年技術士交流実行委員会に相当する若手技術士の委員会が存在する。オーストラリア青年委員の年齢の上限はこれまで30 才と非常に若かった。日本青年委員の45 才という上限に多少影響を受けて,最近では35 才まで年齢を引き上げたという。

キャンベラ本部では20 名,その他,ビクトリア支部,西オーストラリア支部など7支部ではそれぞれ5~10 名程度の若手技術士が活動している。本部と支部を合わせ年間880 万円という予算を認められている。しかし,国土が広く,各本部支部間の交通費でその多くを消化してしまうとのことであった。

3.プロフェッショナルオーストラリアとの交流

オーストラリアには,Professionals Australiaという組織が存在する。これは,専門性の高い職業への従事者の集団で,例えば医師会,弁護士会,技術士会などの専門家が一つに集まった組織と考えてよい。このプロフェッショナルオーストラリアの会合に,オーストラリアの青年技術士とともに参加し,他の専門家グループと議論した。今回は,以下のグループとのディスカッションについて記す。

3.1 IT 技術者グループとのディスカッション

オーストラリアは,日本に比べ著作権保護の認識が低く,コンピュータソフトに関わるIT 技術者としては,今後の課題と考えている。日本では,コンピュータソフトは著作権だけでなく特許権でも保護される。日本でのビジネスを考える場合,技術と知的財産の両方に精通した技術士の存在は頼りになるはずとアピールした。


3.2 建築家グループとのディスカッション

どのような技術者と一緒に仕事をしたいのか、といった観点からディスカッションを行なった。

パートナーとして望ましい順は,

  1. ① 技術力,語学力ともに備えた者
  2. ② 技術力を備えた,語学力に乏しい者
  3. ③ 技術力、語学力ともに乏しい者
  4. ④ 語学力を備えた,技術力に乏しい者

という結論に至った。①は当然の結果であり,今後重要なのは②の技術者のポテンシャルを生かすことだという意見が多かった。また、④の評価が③より低いのは,口ではうまい事を言いながら,中味がないのはかえって有害になるからである。

3.3 歯科医グループとのディスカッション

歯科医の世界では,日本とオーストラリアの間で資格の相互認証はない。日本の歯科医がオーストラリアで開業するには,オーストラリア人と同じ試験を,受験しなければならない。

歯科医グループの中に,日本の技術士がAPECエンジニアになる際に,なぜ英語の試験が課されないのか,という疑問の声があった。即座に明快な回答をできなかったが,先の建築家グループとのディスカッションを引用して,語学力以前に技術力が重要であると答えた。また,APEC エンジニアの多くは既に国際的な場で経験を積んでおり,さらに自己研鑽の中で語学力を研いていることも話しておくべきだった。

4.ロイヤルメルボルン工科大学訪問

スケジュールを策定する際にBrandon Lee 氏が掛川の専門分野(衛生工学:EnvironmentalEngineering)と同種の研究を行っている大学の研究室訪問を組み込んでくれた。ビクトリア州公立大学であるロイヤルメルボルン工科大学(RMIT University:1887 年創立,学生数約57,000 人の大規模大学)の土木,環境及び化学工学科(School of Civil, Environmental and Chemical Engineering)を訪問した。


写真3.John V. Smith 氏と研究室内で面会

4.1 The Fusion of Civil, Environmental and Chemical Engineering

大学では, Professor John Buckeridge ,Associate Professor John V. Smith の2 人の大学の先生と研究室で面会し,大学内の研究施設を見せて頂いた。まず印象的だったのは,日本の大学ではそれぞれ別の学部である土木工学,環境工学,化学工学の三つの工学を有機的に関連づけて研究を行っているという点であった。

4.2 Sustainable Practice

まず,John V. Smith 氏と研究室内で,Natural environment, Sustainability, Global Warming等について議論した。地球温暖化による影響について,日本では集中豪雨による被害が指摘されているが,オーストラリアでは干ばつに見舞われ農作物の収穫に影響が出るとのことであった。また,JABEE に大変興味をもたれており,大学の教育システムの評価についても議論した。話が倫理に関することに及ぶとJohn Buckeridge 教授の研究室

に案内してくれ、皆で倫理について議論した。

4.3 倫理は国際共通言語

John Buckeridge 教授は社会の真に重要な問題に対して焦点をあて,倫理的側面から考察・評価するといった研究をされており,倫理の重要性を強く主張された。倫理に関するリサーチペーパーを頂いた。また帰国後にJohn Buckeridge 教授から「…I am sure we will find opportunities for collaboration…」といったメールが届いている。リサーチペーパーを参考文献に示す。グローバルな活動していくうえで、倫理は議論していかなければならない重要なテーマであると考える。目を通して頂き意見・感想等を頂きたい。

5.おわりに

日本技術士会をオーストラリア技術者に紹介して議論するなかで、技術者のキャリアプログラム、及び倫理については,今後日豪の間で議論していく必要性を認識した。

また、オーストラリアの青年技術士の代表との間で,今後の若手技術士の二国間交流について議論した。その結果,交互に一名に限り若手技術者を招待し合うことを,お互いに検討することで同意した。

ここで重要なのは,招待/派遣は一名に限るということである。これは若手のトレーニングを最大の目的とするからである。つまり,一人で相手国に乗り込み言語・文化他の違いを乗越えて,一人でミッションを完遂できれば,若手技術者にとって,大きなブレークスルーになる。

日本技術士会の知名度を上げる方法の一つは,技術士会の中からスターを生み出すことだと考える。また,グローバル化の進む中でのスターの条件の一つは,世界に通用するキャリアだと考える。若手技術士にとって,オーストラリア技術者との交流は,世界に通用するキャリア形成に繋がると信じる。

なお,本稿は連名での掲載であるが,筆者らは別の期間にオーストラリアの別の場所に,それぞれ単独で乗り込んだことを付記しておく。

<参考文献>

1) John Buckeridge, Gauging Priorities for the Ethical Use of Water, ISSUES Volume 79/July 2007

2) John S Buckeridge, The case for mandatory inclusion of ethics within zoological sciences curriculum, Integrative Zoology 2006;1:44-47

3) John Buckeridge et al, Ethics,engineering and environment : Is Hawking correct ... is it all too late? Proceeding of the 17 Annual Conference of the Australasium Association for Engineering Education. 2006.15:1-8


Updated on 7 30, 2010 by Y Shimada (Version 2)